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2010/08/28 10:08:45
2006年2月25日(アメリカ時間)の旅行写真の続きです。リンカーン記念堂、ペンタゴンやアーリントン墓地の見学です。
2010/08/28 10:08:07
<2006年2月25日(土):アメリカ時間>
ワシントンDCの見学が、今回旅行のハイライトの1つとなりました。待合せのペンシルバニアホテルが6時半の約束でしたから、5時15分にはホテルを出発しました。早朝からの中身の濃い半日小旅行です。
<早朝の出発、待ち合わせのホテルへ>
昨日の内に、待合せ場所の下見をした結果、タクシーは呼ばずに現地まで歩くことにしました。その時間を30分と読みました。それで、途中で朝食をとることにし、マグドナルドのお店に入りました。店の中には、ここで夜を過ごしたらしい人達が何人かいました。注文したのは、ハンバーガーとホットコーヒーのスモールサイズです。
セルフサービスの水がありませんでしたから、熱い思いをしました。太いストローで注意深くコーヒーを飲んだつもりでしたが、想像を超える熱さでした。余り熱くて、皆さんも、半分程は残されたようです。
<電車でワシントンDCへ>
待合せのペンシルバニアホテルには、時間少し前に到着しました。現地ガイドさんに6時45分発のチケットを入手して貰い、ここでお別れしました。ワシントンDCでは、別のガイドさんが出迎えてくれる手筈です。始発駅でしたから、最初は空いていました。ワシントンDC駅まで、約3時間の列車の旅です。途中からは、次第に満席になってきました。
ワシントンDCの表記は、ワシントン州と区別するためです。DCはコロンブスに因む『The District of Columbia(コロンビア特別区)』の略です。
入り組んだ海岸線か、湿地他のような場所を長く走って、終点駅に到着しました。終点駅の少し手前には、ワシントン空港駅がありました。
<最初に国会議事堂見学>
ワシントンDC駅では、ペンシルバニア駅でお別れしたガイドさんが教えてくれた場所に、案内のガイドさんが待っていてくれました。ツアー参加者は、私達3人を含めて7名でした。ワゴン車での見学です。最初の見学地の国会議事堂のことを、少し紹介しておきます。
ウィリアム・ソーントンが設計し、1793年に着工、1800年11月に完工しました。その後、増改築が行われ、長さ250m、幅115m、部屋数540余りの規模となりました。上院は6年任期の100議席で、その1/3が2年ごとに改選されます。下院は、435議席が州の有権者数で配分され、任期は2年です。全員が改選され、2回に1回は大統領選と重なります。
<ホワイトハウス>
ホワイトハウスは、アメリカ合衆国の大統領とその家族が住む官邸です。転じて「アメリカ合衆国政府」のことを指す事もあります。その名前の由来から紹介します。現地ガイドさんも同じことを話されていました。
ホワイトハウスは、米英戦争で1812年に被害に遭い、外部を残して焼失しました。その復興工事の際、一部を除く外壁が白く塗られ、ホワイトハウスと呼ばれるようになりました。
その後、増改築が繰り返され、現在は4階建て132部屋あり、地下には核シェルター機能を持った作戦司令本部があります。屋上ではシークレットサービスの狙撃手が24時間待機しています。内部の見学コースもありましたが、9・11以降は、警備が厳しくなっているようです。
9・11同時多発テロでは、ニューアーク発サンフランシスコ行ユナイテッド航空93便がハイジャックされ、ワシントンDCに15分の場所で墜落しました。ホワイトハウスが標的にされた可能性があります。政府は、公式には否定していますが、戦闘機に撃墜された可能性もあるようです。
車の乗り入れが厳しく規制されていますので、少し離れた場所へ駐車しての見学でした。
<リンカーン記念堂>
第16代大統領エイブラハム・リンカーンを記念して、1922年に建てられた白亜のギリシャ神殿風の建物です。椅子に座った高さ5.7メートルのリンカーン像が据えられています。歴代大統領で、最も背が高かった人です。リンカーンは1863年、奴隷解放を宣言しました。民主主義の理念を貫きましたが、1865年に暗殺されました。
像に向かって左側の壁には、ゲティスバーグで行った有名な演説、「人民の人民による人民のための政治」という名言が刻まれています。演説の最後に近い部分です。
注意して見ないと、見落としますが、この場所で演説を行ったマ マルティン・ルーサー・キング牧師の『アイハブ ア ドリーム』の文字が石面に刻まれています。非暴力で黒人民権運動を指導した彼もまた、1968年暗殺されました。
記念堂の前には、リフレクティング・プールと呼ばれる細長い池があります。高いワシントン塔の全長を、この池に映すことができます。
<朝鮮戦争、戦没者碑>
朝鮮戦争は、1950年6月25日午前4時、北緯38度線で北朝鮮軍の砲撃が開始され、30分後には約10万の兵力が38度線を突破したことに始まります。
6月27日、国連安全保障理事会はソ連が中国政府認証問題に抗議して欠席中に、『北朝鮮弾劾決議』を採択、韓国を防衛するためアメリカ軍25万人を中心としてイギリス、オーストラリアなども加わった国連軍を結成しました。
当初、劣勢だった国連軍は、9月15日、マッカーサー元帥が仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪還しました。10月1日、韓国軍は祖国統一の好機と踏み、国連軍の承認を受けて、単独で38度線を突破しました。更に、中国の周恩来首相の警告を無視し、10月9日、国連軍も38度線を超えて進撃しました。
参戦には消極的だった中国も、北朝鮮の金日成主席の要請を受けて義勇軍を募って参戦しました。最前線だけで20万人規模、後方待機も含めますと100万人規模という大軍だったとされます。
ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、400万の犠牲者が出たとされます。その後、戦況は38度線付近で膠着状態となりました。この碑は、アメリカを始めとする国連軍として参加した17カ国の戦没者を祀るものです。
1953年7月27日、板門店で北朝鮮・中国と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続いた戦争は終結しました。
その後、2000年6月の南北首脳会談以降、停戦当初に比べれば融和の兆しが見えましたが、双方の和解は行われていません。未だに準戦時体制であり、国際法上の戦争は終結していません。同胞が争った戦争ですから、計り知れない傷の深さが残ってしまいました。
<ペンタゴン>
ペンタゴンの写真撮影は固く禁止されています。最近も、車を降りて写真撮影しようとしたアジア人が、すぐに連行されたと、ガイドさんが教えてくれました。その理由は、9・11同時多発テロにあります。その時のペンタゴンの状況から説明します。
国防総省の本部は、五角形を意味する『ペンタゴン』で呼ばれる、5階建てで、各床に環状の廊下があります。この構造により、世界最大のオフィスビルでありながら、一番遠い所へも10分以内で移動できる構造になっています。1943年1月15日に完成しました。
そのペンタゴンは、2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた民間航空機が衝突し、一部が崩壊、炎上しました。その後、元の石材と同じものを使用して迅速な復旧がなされました。遠くから見ても石材の色が微妙に違っていますから、修復の痕が看て取れます。
9時38分にアメリカン航空77便(ボーイング757)の突入を受けました。大爆発が引き起こされてビルの一部は炎上し、10時10分に4階が崩壊、10時15分に1階までが全て崩壊しました。77便の乗客・乗員全員が死亡するとともに189人の国防総省職員も死亡しました。
情報が錯綜し、最初の報道は炎上というだけでしたが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によって、航空機激突の目撃が証言されました。ボーイング757機の巨体は焼失していました。
写真を撮ってはいけないといわれても、走行中の車の中からだと大丈夫だと思って、何枚か撮影しました。同じように、荒金さんや、井上さんも撮影されていました。
<ショッピングモールでの昼食>
ペンタゴンの前をノンストップで通り過ぎて、ショッピングモールに到着しました。マンハッタン地区に隣接する区域です。ここで、1時間半程の自由行動となりました。昼食とショッピングです。
食事は、各国料理の店が並んでいましたから、その中から選ぶことができました。3人の意見が一致したのが、中国料理のお店でした。焼きそばか、炒飯をメインディシュに、仕切りが付いた皿に、好みで選んだ2種類のおかずを盛って貰いました。
問題は飲み物です。後でガイドさんにお聞きした話ですが、酒類販売の免許の費用が高いので、殆どのお店が、ソフトドリンクだけだそうです。それでも、何とか販売しているお店を探し出し、ハイネッケンの缶ビールが入手できました。食事と飲み物合わせて、3人分で28ドルでした。
食事の後は、私たち三人も、全員の待合せの時間まで、自由行動です。専門店も入った大型ショッピングモールでしたから、見所はたくさんありました。ニューヨークより税率が低いですから、買い物にも好適でした。
<アーリントン国立墓地>
昼食の後の見学は、アーリントンの国立墓地でした。ポトマック川岸、バージニア州側の小高い丘の上にあります。200エーカーという広大な墓地には、独立戦争やベトナム戦争等、アメリカのために命を犠牲にした兵士達など、約26万人が眠ります。
1963年にテキサス州ダラスで遊説中に暗殺された35代大統領J.F.ケネディも、夫人、子供と共にこの墓地に眠っています。ここには、埋葬されてからの灯された炎が、静かに燃え続けています。
靖国参拝問題で、国立追悼施設が話題に上がり、その折に引用される1つが、アーリントン国立墓地です。ワシントンを訪れた各国首脳は、例外なくこの墓地を訪れ、無名戦士の墓等に献花をされるようです。その墓地について、少し説明をしておきます。
墓地への埋葬の費用は、すべて国費で賄われます。その際、どの宗教を選択するかは、生前の故人と、遺族の自由です。プロテスタント、カトリック、ヒンズー教、ユダヤ教、仏教、無宗教でも構いません。
アーリントン国立墓地は、1864年、南北戦争の戦死者を葬るために設置されました。その後、1921年3月4日、アメリカの議会は、第1次世界大戦で仆れたアメリカ兵士の葬儀を、アーリントン国立墓地の追悼場で行なうことを決議しました。これがアメリカでの国家規模における無名戦士の墓の発端となりました。
その後、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争の戦死者も葬られました。イラク戦争とその後の犠牲者で、今なおその数を増しているようです。
<スミソニアン航空宇宙博物館>
現地ガイドさんの一番のお勧めが、このスミソニアン航空宇宙博物館でした。ガイドブックにも、スミソニアンの各種施設でも1、2位を争うと紹介してありました。夏休みに入ると、特に混み合うようです。
無料でしたが、入場する時には、保安検査がありました。見所を教えて貰った後で、ここで2時間以上の自由行動になりました。国立美術館も時間をかけて見学したかったので、早足の見学となりました。
飛行機から音速ジェット機までの航空機の歴史的展示や、当時のソビエトと先陣を争った、人工衛星、有人宇宙飛行等の展示は、僅かの時間を惜しんで見学しました。月の石にも直に触れることができますし、大気圏突入の際に焦げ付いた船体、ソビエト連邦がロシアに代わっての、宇宙ドッキングの展示なども見応えがあります。
<国立美術館>
正式名称は『National Gallery of Art』です。世界でも5指に入るといわれる収蔵品を有しています。ダ・ヴィンチから、ピカソ、ウォーホールまで、13世紀から現代までのヨーロッパ、アメリカの膨大なコレクションが展示されています。
この日、正面玄関は閉まっていましたが、西館からの入場ができました。スミソニアン本部に属していますから、他の博物館、美術館と同様に無料開放されています。フラッシュを焚かなければ、撮影も自由です。
印象に残った作品の中で、エル・グレコについてだけ触れておきます。昨年(2005年)2月、彼の作品が多く収蔵されている、スペインのプラド美術館でも鑑賞することができました。大原美術館にも作品があります。
グレコは、ギリシャ領のクレタ島出身の16世紀の画家です。本名はドメニコス・テオトコプーロスです。一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン語で『ギリシャ人』を意味する通称です。
当時ベネチア共和国の支配下にあったクレタ島で、初めにイコンを学び、後にイタリアのベネチア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ベネチア派絵画を学びました。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍しました。
彼の画は、マニエリスム、バロック様式に分類されます。暗い画面、縦に長い構図、複雑なポーズの人体などが特徴です。死後、長らく評価されませんでしたが、19世紀に再評価を受け、ピカソ等、20世紀の芸術家にも影響を与えたとされます。収蔵品は、写真編の方でご覧ください。
<食料を買い込んで、帰路に>
ニューヨークへの戻りの列車は、5時過ぎでした。それで、駅構内のお店で軽食を買い込んで、車中で夕食代わりにすることにしました。リカーショップもありましたから、缶ビールと、ねじ式の小瓶のワインも買い求めました。初日に比べると、1/10程の費用の夕食になりました。
翌朝はラスベガスへの移動日ですから、ホテルへ戻って解散となりました。ホテルのバーで水割りを飲んで、この日は少し早く就寝しました。
リンカーン記念堂で
人民の言の葉三度繰返し歴史を語る白亜の座像
アーリントン国立墓地で
永遠の炎は静に燃続けテロの愚さ諭すが如し
航空宇宙博物館で
月面に着陸したるその昔心踊し石に触おり
国立美術館で
エル・グレコ展示の部屋に人影の少く吾を忘れて見入る
2010/08/28 10:08:27
<はじめに>
昨年の10月から始めた今回の一連の旅行は、2月か3月で一区切りする予定でした。ゴールデンウィークは、恒例の韓国旅行の予定ですから、その前に旅行記やその他の製本に時間を割くためでした。
そんなことで、ヨーロッパ旅行を考えていた時に、旅行のお誘いの電話が入りました。1月の始めの頃でした。行き先はヨーロッパではなく、アメリカでしたが、すぐにOKしました。
<旅の計画>
旅行プランは、日本通運の『ニューヨークとラスベガス、7日間』です。2月23日にセントレアを出発し、デトロイトで入国手続きをした後、国内線に乗り換えてニューヨークで3泊、この後、ミネアポリスを経由してラスベガスに移動し、ここで2泊、サンフランシスコから成田を経由してセントレアまで帰国する予定になっていました。資料は旅行社から郵送で送って貰いました。
今回の旅行にすぐに賛成したのは、世界の美術館巡りが目標にあったからです。ルーブル美術館、大英博物館、プラド美術館、ウフィーツィ美術館を見学しましたので、次はメトロポリタン美術館とエルミタージュ美術館が目標になっていました。今回の旅行で、残りはエルミタージュ美術館だけとなりました。
<3人だけの結団式>
旅行の前に、3人だけの結団式を行いました。日曜日の夕方、名古屋駅前のナナちゃん人形の前で待ち合わせました。1次会のお店は、待合せ場所から東南に少し歩いた場所の和食のお店でした。3人の意見は、どうしても刺身になります。以前、Akさんに誘って頂いて入ったことがあるお店でした。
1次会だけでは、終わりの時間に早過ぎましたので、今池までタクシーで走りました。2次会のお店は、私の行きつけのお店、お鮨の鮪馳(いち)です。お腹が一杯でしたから、軽い料理を注文しました。ママから『越の寒梅』をご馳走になり、この日のお開きとなりました。今回旅行のプロログの写真をご覧ください。
<日付の表示について>
日付変更線を越えての旅行ですから、当然、日付は日本とアメリカ現地では異なります。しかし、これまでの私の旅行記は、日付を中見出しと使っていますから、少し不都合になりました。例えば、日本を2月23日に出発し、翌日の朝もアメリカでの23日となります。
このため、日付の後に、日本か、アメリカであるかを追記する方法を採りました。
帰国の場合も同様ですが、アメリカの日付で3月1日の昼に出発し、3月1日の夜に到着するところですが、日本の日付では、3月2日の夜の帰国となります。
*元資料の『アメリカ旅行記』、副題『アメリカ横断の旅』の目次です。
<目 次>
<はじめに>
旅の計画 (1)
3人だけの結団式 (2)
日付の表示について (2)
<2006年2月23日(木):日本>
セントレア空港集合、名古屋出発 (4)
日付変更線通過、デトロイト空港へ (4)
<2006年2月23日(木):アメリカ>
デトロイト到着、入国審査、そしてSSSS? (6)
ニューヨークへ (7)
ニューヨーク到着、ホテルへ (7)
ニューヨーク最初の夜 (8)
夕食、荒川さんの女子フィギア優勝 (9)
<2006年2月24日(金):アメリカ>
喫茶店での朝食、早朝の散歩 (11)
リバティ島、自由の女神 (12)
エリス島移民博物館 (12)
地下鉄での移動、まずは昼食 (13)
メトロポリタン美術館 (13)
マンハッタン島東部、クイーンズへ (14)
翌日の集合場所のホテルの下調べ (15)
牡蠣、ステーキ、そしてワインの夕食 (15)
<2006年2月25日(土):アメリカ>
早朝の出発、待合せのホテルへ (17)
電車でワシントンDCへ (17)
最初に国会議事堂見学 (18)
ホワイトハウス (19)
リンカーン記念館 (19)
朝鮮戦争、戦没者碑 (20)
ペンタゴン (21)
ショッピングモールでの昼食 (22)
アーリントン国立墓地 (23)
スミソニアン航空宇宙博物館 (24)
国立美術館 (24)
食料を買い込んで、帰路に (25)
<2006年2月26日(日):アメリカ>
早朝のセントラルパーク散歩 (27)
ニューアーク空港へ (28)
ニューアーク空港からミネアポリス空港へ (29)
1時間遅れでラスベガス到着、ホテルへ (30)
ラスベガス、夜の散策、夕食 (30)
<2006年2月27日(月):アメリカ>
少し遅い起床、朝食 (32)
ラスベガスの歴史 (33)
ラスベガス、昼の散策 (34)
自由行動、ベネチアン・ホテル (34)
タクシーでダウンタウンへ (35)
夕食は、今日もフラミンゴ・ホテルで (36)
夜はもう一度カジノで (37)
<2006年2月28日(火):アメリカ>
早朝の起床、サンフランシスコへ (38)
搭乗した後で、1時間待ち (39)
既に飛び立っていた成田行きの便 (40)
旅行会社事務所への連絡、難航した帰国便予約 (40)
サンフランシスコ市内見学へ (41)
シアトルへ (42)
シアトル到着、夜の打上式 (42)
<2006年3月1日(水):アメリカ>
朝の散歩、朝食 (44)
早めにシアトル空港へ (45)
無事にチェックイン、帰国 (45)
<おわりに>
謝辞 (46)
*元資料の写真資料目次です。
<写真目次>
プロログ、名古屋出発 (1)
デトロイト到着、ニューヨークへ (4)
ニューヨーク到着、ホテルへ (7)
ニューヨークの最初の夜 (9)
翌朝のホテル界隈散歩 (14)
自由の女神見学へ (15)
エリス島移民博物館 (22)
地下鉄一日券での移動、昼食 (30)
メトロポリタン美術館へ (32)
メトロポリタン美術館見学 (34)
マンハッタン島東部散策 (41)
翌日集合場所の下見 (43)
夜は牡蠣料理、ステーキにワイン (45)
ワシントンDCへ (47)
ワシントンDC見学出発 (51)
ホワイトハウス (56)
リンカーン記念堂 (58)
朝鮮戦争、戦没者碑 (61)
米国国防総省、ペンタゴン (63)
ショッピングモールで昼食 (64)
アーリントン国立墓地の墓参 (66)
スミソニアン、航空宇宙博物館 (71)
国立美術館 (77)
早朝のセントラルパーク散策 (83)
ミネアポリス経由、ラスベガスへ (87)
ラスベガスの最初の夜 (91)
ラスベガスの昼の風景 (93)
ベネチアン・ホテル (112)
ダウンタウン見学 (120)
ラスベガス出発、サンフランシスコへ (124)
サンフランシスコ到着、遅延対策交渉 (129)
サンフランシスコ市内見学 (131)
夕方の便でシアトルへ (145)
シアトル到着、夜の宴会 (147)
成田経由、帰国 (150)
付録 搭乗券等 (153)
2010/08/25 03:08:54
①マイアミ サウスビーチ
05/16/09 ~ 05/17/09
カンクンからマイアミまでは、1時間半と超短いフライト。でも昼時だし、ランチ、もしくは簡単なサンドウィッチが出るかと思えば、小さなプレッツォルと飲み物のみで、ガッカリ。ヘッドフォンも自前の物を使うか、レンタルで別料金でビックリ!! AAかなり、サービスわるっ!!
なみおにとって、久々のアメリカ。マイアミの空港からホステルまでは、10マイル程。ホステルのWEBでディレクションのとおりにLバスを探すも見付からず、ツーリストインフォメーションで空港からは、Jバスに乗れると言われた。30分程待って、ようやくJバスが来るも、お釣りが出ないらしく、20ドル札しかないなみおは、くずす必要があり、空港内にまた逆戻り・・・。なんとかくずして貰うも、バスはもうすでに出発してしまっていた。ってなわけで、また30分ぐらい待つ羽目に・・・。同じ方向に向かうニュージーランド人の子がいたから、一緒にバスに乗り込んだ。全く、ディレクションと違うじゃないか!!と思いながらJバスからCバスに乗り換えた。彼女は、16TH STで降りて行き、なみおは、4TH STだからしばらくまだ距離があった。WASHINGTON AVEをずっと下って行き、ワンブロックごとにバス停があるのを確認し、5TH STまで来た所で下車ボタンを押した。すると、なぜか5TH STでバスは右折。なんで?!と思いながら、ホステルとは、全く別の方向に進んでしまった・・・。結局3ブロック程道を引き返し、ようやくホステルに到着した。
「ハリソンホテル」は、安いしビーチにも近いし、目ぼしいホステルの中でここしか空きがなかったから、いちお予約を入れておいた。ただWEBのリヴューがイマイチだったから、少し不安だった。でも受付のマークが陽気なブラックで安心した。
とりあえず、お腹ぺこぺこだったので、ファーストフードを探すも、なぜかサブウェイだけで、マックやバーキンが見付からなかった。マイアミに着いて思ったのは、一般的に働く人々が不親切、っていうか態度が悪い。メキシコの印象がよかった分、余計に悪く感じた。バスドライバーもサブウェイの店員も最悪で、メキシコが恋しくなってしまった。
6インチのサンドのつもりがFOOTロングを頼んでしまったらしく、めちゃめちゃデカイのが出てきた。でも超お腹が空いていたから、フツーに完食♪ セットのチップスまでたいらげた。
ドミトリーのフランス人&ドイツ人は、パーティに出掛け、なみおは部屋を独り占め♪ クーラーがガンガンだし、超快適。ただここのホステルは、汚い・・・せっかくオシャレな家具を使っているのに、掃除のおっちゃんが手抜きしているのか、ゴミは散らかっているし、もったいないと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・
朝食のとき、日本人の男の子ツヨシくんに出会った。オアハカ以来の日本人との出会いだ。昼間は、ツヨシくんと一緒にホステルから3ブロックという近さのサウスビーチに行くことに。マイアミは、ガイドブックもないし、特にビーチとパーティしか見所がなさそうなので、ビーチでマッタリしようと思っていた。
サウスビーチは、キレイだけど、トロピカルフィッシュはいなかった。2時間程パシャパシャして、ショッピングモールに行きたいと言うツヨシくんについて、リンカーン・アヴェニュー・モールに行くことに。受付のにーちゃんには、10ブロック以上あるから歩けないと言われたけど、10ブロックなら余裕で徒歩圏内だと思った。
ここのモールは、モールといっても、1つの建物に沢山のお店が入ったモールとは異なり、沢山の小さなお店が両脇に並ぶアヴェニューだった。この辺りは、物価が高いと聞いていたし、ロスに着くまでは、まだ荷物をしょって歩く必要がある為。ただ見て歩くだけにした。
もう15時近くで、さすがにお腹が空いていた。でも普通のレストランは、予算オーバー。ファーストフードを探すも、ここには、マックとサブウェイしかない。ファーストフード大国アメリカなのに・・・。結局マックで遅いランチを取ることに。
ホステルへの帰り道、公園に寄ってみることに。バスケ大好きでミーハーなツヨシくん。しばらくバスケをするにーちゃん達やソフトボール、スカッシュをする人々を眺めた後、ホステルへと歩き始めた。
何も知らなくて、昨日は7ドルも無駄なお金を払い、サブウェイでディナーしたなみお。なんとこのホステルは、夕食がタダ!! といっても、ホットドック、ピザやバーガーといったジャンフード。それでも貧乏旅行をするなみおには、ありがたかった。
ホットドック2つとチップスを食べ、ビールを買いに近くのドラックストアに向かった。すっかり忘れていたけど、ここは、アメリカ。IDが必要なのだ。忘れてきたなみおは、ツヨシくんにビールを買ってもらい、2人でバスケの試合を見る為、TVルームに向かった。すると、オッサンが『サバイバー』を夢中になって見ていた。残念だったね、ツヨシくん・・・(苦笑)
2010/08/12 08:08:46
4人の大統領の顔が岩山に彫られたマウントラッシュモア国立記念碑に行ってきました。
左から
【初代大統領】 George Washington (ジョージ・ワシントン)
【 3代大統領】 Thomas Jefferson (トマス・ジェファーソン)
【26代大統領】 Theodore Roosevelt (セオドア・ルーズベルト)
【16代大統領】 Abraham Lincoln (エイブラハム・リンカーン)
《参考サイト》
http://www.nps.gov/moru/
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