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2010/09/04 09:09:00
パリ
●世界ふれあい街歩き
http://www.nhk.or.jp/sekaimachi/detail/arukikata/050503.html
トウールーズ(8:52)--TGV8528--(14:50)パリモンパレナスSS
トウールーズから一気にこのパリへ
パリの起源は、ケルト人パリシイ族の人々が、セーヌ川のシテ島へ移り住んだ紀元前300年頃から今日までこの町は衰退することなく発展を遂げてきた、世界でもまれな町です。セーヌ河岸の建物群は約2000年を超える発展史を代表する。
古くは商業と交通の要衝で、その後の長い歴史の中において、政治、宗教、学問や芸術、文化と全ての分野で重要な位置を占めたことも他の大都市の例を見ない。
元々ケルト人によってルテテイアと呼ばれたこの町は、前52年頃、ローマ帝国に征服され、交通の要衝となり、その後、後4世紀中頃にはパリと改名される。
6世紀初頭にはフランク王国の首都となり、シテ島及びセーヌ川の左岸に加え右岸が開発された始めたのもこの頃です。
10世紀末から14世紀、カペー朝の王が定住する首都として、パリは急速に発展。12~14世紀にはシテ島にサントシャペルノートルダム大聖堂と言う、当時の聖堂建築を代表する二つのゴシック建築が完成する。これらの聖堂は、その後の建築に大きな影響を与え、パリをヨーロッパのキリスト教文化の中心地へと押し上げた。
16世紀、それまで商工業の中心だったセーヌ右岸のルーヴルが正式な王宮になると、政治、経済の活動は右岸に集中。左岸は学問や芸術、文化の中心になっていった。
1789年勃発のフランス革命、その後のナポレオン1世の台頭、ヨーロッパ社会を震撼させた1830年の七月革命と1848年の二月革命など、パリの町は18~19世紀に起きた歴史的事件の舞台となる。更に19世紀半ばより、セーヌ川右岸を中心に大通りや水道、建造物が次々と建設され、大きく姿を変える。
その後の20世紀初頭まで続く近代的な町造りは、今日なお、世界各国の都市計画に影響を与えている。
※フランス革命
1789年7月14日~1799年11月9日
1789年ルイ14世以来の財政問題を要因としてパリで市民が蜂起し、フランス革命が勃発。1793年ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑され、内乱状態となる。この事態を危惧したイギリスやロシア、スペイン、プロイセン(ドイツ)などが軍事同盟(対仏大同盟)を結成。
※ナポレオン1世
1799年にクーデターを起こし1804年、皇帝となったナポレオン1世は、独裁的軍事政権を確立すると1806年にはドイツの諸侯と同盟を結び、神聖ローマ帝国を解体させた。
中央ヨーロッパやイタリア、イベリア半島での覇権を確立したが、1812年、ロシア遠征に失敗すると、対仏大同盟軍にも敗れ失脚、1821年に死亡。
※ルテテイア
ケルト語で『水に囲まれた住居』の意。
◆◆フランス◆◆
●パリ/モンマルトルの丘
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10150265/
●パリ/エッフェル塔:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149631/
●アミアン/大聖堂:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149632/
●シェルブール
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149634/
●モン・サン・ミッシェル:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149626/
●サン・マロ
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149629/
●トウールーズ/ミデイ運河:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149617/
●カルカッソンヌ:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149611/
●アヴィニョン:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149580/
●アルル:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149903/
●オランジュ:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149589/
●ポン・デユ・ガール:世界文化遺産
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149594/
●ゴルドー
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10150754/
●ルシヨン
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149583/
●ニース
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149520/
●カンヌ
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149522/
◆◆モナコ◆◆
http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10149523/
●鉄道パス
http://www.ohshu.com/n_rail/top_rail.html(欧州エクスプレス)
http://www.his-hotel.com/rail/index.htm(HIS)
■欧州鉄道の旅 Map comevaの足跡
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=XOUpBJXEmNEcUnvWgN.4TmcJ8AkkosGfZQ--
2010/09/02 07:09:25
17年前から2年間留学をしていた町、グルノーブル。15年振りに訪れてみました。街は、結構変わっていましたが、懐かしさで一杯になりました。フランス人と討論した日々を懐かしく思いだしました。昼間だったので、よく出かけたバーは閉まっていました。住んでいた場所、有名なバスティーユ城砦、大学キャンパスなどを訪れました。
2010/09/01 06:09:27
2010年8月6日(金)
グラーツのハウプト広場(ハウプト・プラッツ)は、1160年発祥とされているが、情報交換の場、交易の場として、集落の中心が自ずから形成されたのだろう。
南側に建つ市庁舎は、1550年に始まると言われる。
その後増築、改築が重ねられ、現在の姿が出来たのは1887年とされる。
広場の中心には、1878年に建立されたヨハン大公の銅像が際立っており、それを取り囲む四人に女性像は、シュタイヤマルク領を流れる四大河川のシンボルとのことだ。
ヨハン大公は、ゼメリング鉄道建設の推進者としても、知られている。
広場を取り囲む建物の壁には綺麗な装飾を施されており、一番目立つルエックハウスは、1690年に建てられたものだ。
目指す「武器博物館」は、ハウプト広場から歩いて直ぐだった。
この道にはトラムの線路が通っているが、線路ギリギリの歩道にレストランのテーブルとテントが置かれていて、電車が走ったら風でテーブルが揺らぎそうなほどだ。
このような光景はフランスのグルノーブル(だったと思うが?)でも見たような気がするが、トラムと市民の日常生活の場がこんなに密接なのは、日本では考えられない。
武器博物館は、オスマントルコの襲撃に備えるため、17世紀中葉に造られた。
13世紀末に始まったオスマントルコは、勢力圏の爆発的拡大を続け、ヨーロッパを脅かす存在となる。
当時ヨーロッパの最前線としてオスマントルコの進出を防いだのは、この地方だった。
オスマントルコがウィーンを包囲したのは、第一次1529年と第二次1683年の二回とされるが、この当時ハプスブルグ領は常時オスマントルコ来襲の脅威にさらされていたと思う。
今武器博物館になっている武器庫が建設されたのは、第一次来襲と第二次来襲の間で、このような武器の蓄積が、必死の思いでなされていたのだろう。
この武器博物館の最大の意味は、当時の恐怖を今に伝えることだろうと考える。
四階建ての博物館は、小銃をずらりと並べた棚が床いっぱいに並んでいて、私が1943年に旧制中学校に入学して、学校の武器庫を見たときの驚きを思い出す。
敗戦を二年後に控えた時代だが、ほぼ学生数に近い数の小銃が揃っていた。
一年生で持った銃は「村田銃」で、明治13年製と記憶している。
重いうえ、肩への当たりが厳しかったが、国防の一翼に参加しつつある実感を覚えて、緊張した。
二年生になると「三八銃」になり、これは明治38年製と聞いた。
「村田銃」より、ずっと持ち易かった。
こうした銃の扱いは「教練」の時間に習った。
しかし実弾射撃は、もう少し高学年になってからでないと、体験できなかった。
写真は「ソフィーさんのマイページ」(訪問54カ国、文章1,590件 写真6,770枚)、にあります。
http://4travel.jp/traveler/katase/
スイスの写真が美しい「片瀬貴文さんのマイページ」(文章625件 写真2,400枚)
http://4travel.jp/traveler/takafumi/
ブログの作成日順に並んでいる、文章主体の「片瀬貴文の記録」(文章1,650件)
http://blog.alc.co.jp/d/2001114
(片瀬貴文)
2010/08/30 10:08:06
フォンテーヌブローからの帰り、メトロ周辺で捉えた映像と宿周辺の映像を写し出してみた。パリを離れ、リヨン、グルノーブル、アヴィニョン、ニースと巡りまたパリへと戻ってくる。前半のパリ滞在の最終日。
2010/08/25 02:08:23
2回目のコッツウォルドです。
オックスフォードから観光バスは出ているのですが、どうしてもシェークスピアの生地であるStratford upon AvonやBanbury方向を主にしているし、行動の自由がないのでレンタカーにしました。Avisが比較的駅から近いので歩いて行って、車借りたいんだけど、と言ったら”ご予約はございますでしょうか?”
”ございません、今朝決めましたから”困ったような顔をしていたが”運のいいことに一台だけございます”どうもこちらが勝手にこのくらいの街ならレンタカーなんていくらでもあるだろうと思っていたのが間違いでした。小さいClio(ルノー?)でMTでした。ヨーロッパはMTが当たり前のようで、久しぶりでした。我々アメリカ人から見ると道は狭いし、Wrong side(これはアメリカンジョーク)だし、慣れるのに少し時間がかかります。可愛らしくて品のいいお姉さんにお礼を云って出発。殆どフイルムで撮っていたので写真が少なくてすみません。
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